人口学者の湯浅赳夫氏(新潟大学名誉教授)によれば、中国史というのは3000年以上にわたって、以下のサイクルが繰り返されたという。
超マクロ的には生態学理論に従っている中国4000年史
まず、新王朝が成立すると、社会が安定化し、農業生産が徐々に増加するのに対応して、遅れて人口が徐々に増加していく。ところが、やがてある時点で、当時の農業技術による土地生産能力の限界、即(すなわ)ち環境容量の天井に突き当たって農業生産の増加は停止。人口は過剰となり、環境は劣悪となる。そうなると社会のストレスが限界に達し、農民反乱や内乱が勃発して、時の王朝は崩壊する。そうなると、ますます社会が混乱し、農業生産が崩壊して人口が大きく減少する。すると、今度は再び環境に余裕が出て、再び新王朝が成立し、社会が安定化に向かう。
このサイクルは1サイクルが数百年とされるが、数え方によって、中国史はこれが4~5回から、10回程度繰り返された。例えば、前漢の紀元2年に約7000万人であった中国の人口は、後漢の紀元88年には4400万人に減少しており、606年の隋時代には6400万人に回復。唐の成立後の705年には再び3700万人に減少し、唐の最盛期後の755年には5300万人に回復している。
その後、1103年の北宋期には1億3000人弱まで増加したが、元朝1290年には再び8600万人まで減少、さらに明時代の1393年には6000万人まで減少した。逆に清時代の安定期の1751年には2億人を突破している。最後の減少期が清朝末の太平天国の乱とされる。この、王朝の栄枯盛衰と同期している人口サイクルは、長期の趨勢的には、農業技術の進歩と開墾地や版図の拡大によって平均線が上昇傾向にあり、19世紀末から20世紀にかけては一方的に急増し、4億、5億という規模になってくる。(参考文献:湯浅赳夫『文明の人口史』)
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